宮崎駿の“世界”

宮崎駿の“世界” (ちくま新書)著者と町山智浩のトークが面白かったので、少し古いが本書を読んでみることにした。
凄まじい情報量で宮崎駿の作品と人間について、東映動画入社時から「千と千尋の神隠し」までの期間で分析されている。
思想的には好きでない部分もある宮﨑駿の作品だが、この本の分析を読むと、色々と納得させられる。

雑誌インタビューや講演会の記録などの膨大な情報を元に宮﨑駿の作品と人間を分析している。
そのため、文章量が通常の新書を遥かに上回り、ページによっては2段組になったり、行数が増えたりしている。
不自然に2段組になっているのが気になっていたが、苦肉の策だったようだ。

本書では、次の3つの時代に分けて分析している。

・スタジオジブリ作品
・未来少年コナンとルパン3世
・東映動画入社からパンダコパンダ、ハイジ、母をたずねて三千里まで

それぞれの時代背景や制作会社の状況、インタビュー等を元にした宮﨑駿の心情分析が興味深い。
特に「ナウシカ」以降、何を描くべきか宮﨑駿が苦悩しているのが伝わってくる。

(もののけ姫は、)『ナウシカ』以来の<自然と人間>という問題にもう一度映画で本格的にぶつかることにしたのだ。
しかも、人間と自然は根源的に<共生>など出来ないという現実を『ナウシカ』以上にごまかさず描く。
作者の中であらかじめ消化されて問題を<テーマ>として作品に仕立てるのではなく、作っていくことで模索する。

作り手側としての思いはあるだろうが、宮崎アニメの魅力は川喜田八潮の指摘がしっくりくる。

「余計な取り越し苦労をせずに、ただひたすらにどう猛に、非決定としての『いま』をくぐりぬけていくだけだ」

宮﨑駿は、絵で思考する人間であり、絵を積み上げて映画が出来ている。
だから、内容に関係なく子どもにも受け入れられるのだと思う。
彼の作品制作スタイルが、理屈で作っているのではないことを如実に表している。

宮崎はそのキャリアのある時点から、作品のプロット(あらすじ)を作ると、脚本を経ず、もうそれだけで場面のカット割りと秒数を指定する[絵コンテ]作業に入るようになった。
その絵コンテも、宮崎アニメではラストシーンまで完成する前に作画作業が始められることが多い。
つまり、場面の積み重ねとしての絵を描いていくことでドラマを前に進めていくのだ。

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