恐怖の作法

恐怖の作法: ホラー映画の技術知らなかったのだが、ジャパニーズ・ホラーには「小中理論」という恐怖表現についての理論があるらしい。
さっそく調べて見ると、ホラー映画の中でも実話ホラーでの表現方法について、まとめた理論であった。
「本当にあった怖い話」系のホラーに興味はないが、恐怖にフォーカスした「小中理論」は興味深い。

「小中理論」の提唱者である小中千昭は、ホラー映画を中心とする映画やドラマ、アニメの脚本家である。
その彼が、「怖さ」とは段取りであると考え、恐怖を追求する原理主義的ホラー映画(ファンダメンタルホラー)の表現について、2003年にまとめたのが「小中理論」である。

「小中理論」とは、以下のような映像制作に関するノウハウである。

A.脚本構造について
・恐怖とは段取りである。
・主人公に感情移入させる必要はない。
・因縁話は少しも怖くない。
・文字は忌まわしい。
 (インポーズれさた文字は、普通のドラマでないことを強制的に伝える)
・情報の合致は恐ろしい。
 (第三者も経験したことを知ることで不確かな現象が確信となる)
・登場人物を物語内で殺さない
 (実話ホラーでは人が死んで事件になっていないのはおかしい)
B.脚本描写について
・イコンの活用。
 (浴槽にへばりつく長い黒い髪の束などのイコンを有効に使う)
・霊能者をヒロイックに扱ってはならない。
 (説明不能が恐怖であり、理解出来る人を主人公にしてはいけない)
・ショッカー場面はアリバイだ。
 (ショッカーは「怖さ」ではなく「驚き」だが、後で印象に残る)
・幽霊の「見た目」は有り得ない。
 (幽霊主観の映像は「サスペンス」であり「怖さ」ではない)
・幽霊ナメもやってはならない。
 (体験者の視点に沿い、幽霊の背中越しに撮影してはいけない)
・幽霊は喋らない。
 (役者が喋ると肉体感が強調され過ぎる)
・恐怖する人間の描写こそ恐怖そのものを生み出す。
・つまり、本当に怖いのは幽霊しかないのだ。

本書は以下の構成になっている。
第一部 「小中理論」を中心とした2003年までの著者の活動
第二部 2004〜2008年までのインターネット上での怖い話の調査
第三部 2008〜2014年までの著者の活動

現代Jホラーのトップといえる「リング」の脚本家高橋洋や「呪怨」の監督清水崇との対談もある。

人が恐怖というものを、脳のどの部位のどういった作用によって産み出しているか、ということも解明されつつある様だ。しかしそれはあくまでも、実生活に於ける恐怖、誰しもそれを得たいとは決して思わない情動としての恐怖である、ホラー映画という、代価を支払ってまで得たいという恐怖とは違う。

神は信仰される事で実存するー。
出自が如何にフィクションだったとしても、信仰される事でその神は実在する様になる。
現代の私達の中に、四谷怪談にまつわる怪異を何処かで信じている暗部があるとすれば、それはやはり、呪いというものが望まれているからではないのか。

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