隣のアボリジニ

隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民 (ちくま文庫)「精霊の守り人」「獣の奏者」の作者である上橋菜穂子によるアボリジニの研究である。
彼女は日本の誇るファンタジー作家の一人だが、その緻密な世界構築は、彼女が文化人類学者であるのが大きな要因だろう。
先住民族の歴史を、ステレオタイプ的に「可哀想だ」と思ってはいけない、と彼女は言うが、その歴史はやはり哀しい。

ファンタジー作家と文化人類学者の2足の草鞋を履いて、20年以上活動している著者の、文化人類学者としての面が理解できる本である。
さすがに作家だけあって、普通の学者よりも文章が詩的である。

ご存知のように、オーストラリヤや欧米等では「音をたてて汁物をすする」のは、最低のマナーなのです。
彼女は「蕎麦を音をたててするること」に驚き、私は「へえっ、そんなことで鳥肌がたつのかぁ」と驚いた。
私にとって当たり前が、他の人にとっては当たり前ではない。
そう気づいた瞬間の驚きを、さあっと頭の中の霧を吹き晴らす新鮮な風に使うこと。
それがカルチャー・ショックを研究方法として使うということなのでしょう。

文化人類学者である彼女は、アボリジニの実態を調査するために、オーストラリアのアボリジニの住む田舎町や都会に隣人として生活し、友人となり話を集めていく。
文化人類学の方法は、他の科学と研究対象との距離の取り方が違う。
通常、科学は研究対象と距離を置いて観察するが、文化人類学は観察対象とともに生活し、観察・記録する。
観察対象に影響を与えてしまう恐れが常にある。
しかし、研究者が影響を受けて世界観を覆される可能性、楽しさもある研究方法だと思う。

文化人類学者の手法は、研究対象に寄り添うものだから、その報告は時に心揺さぶるのかもしれない。
本書でも、調査の過程で友人になった現地の人々の生活や歴史が生々しく、人ごとではない憤りを感じることもある。
特に、酷いのは子どもの連れ去り政策である。

当時のオーストラリアは、「白豪主義」をとっていました。
白人優先主義と、非白人の移住禁止が内容でした。
非白人は、白人居住地から追い出そうというわけです。
さらに、この時期、恐るべき政策が実行に移されました。
「文化の遅れたアボリジニの親が子どもを育てると、子どもが遅れたままになるから、親元から引き離し、進んだ文化の下で育てよう」という政策です。
この場合の「進んだ文化」とは、もちろんイギリスからの移民たちが持ち込んだ文化でした。

現代のアボリジニの、「大自然の民」というイメージとは異なる複雑な状況を、少しは理解出来た。

白人主導の社会で豊かになるためには、「アボリジニらしさ」を捨てねばなりません。
白人社会で豊かになるために必要な基盤—教育、職業知識、人脈、財産–そのどれも持つことが許されずに、いきなり競争社会に放り出された歴史的背景と、現在も残る差別感情。
雇用を阻むステレオタイプのアボリジナル・イメージ。
そういう深い溝の中から、一人跳び上がり、社会的な成功を果たすという大変な作業をするとき、親族や仲間をなにより大切にし、みんなと同じレベルで生き、得たものは分かち合うという「アボリジニの世間」の大原則は足に巻きついた太い鎖になるからです。

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