大吸血時代

大吸血時代全人類がほぼ吸血鬼となった世界が舞台である。
人生に退屈した主人公は、自殺を考えて車を走らせていた時に人間の子どもを拾う。
いつでも食べられる保存食として持ち帰ったつもりが、子どもの愛らしさに負けて、子育てが生活の中心になってしまう。
状況こそホラーのようだが、ハートウォーミングなユーモアー小説である。

「大吸血時代」というタイトルはいかがなものかと思う。
内容的には「スリーメン・アンド・ベイビー」のような子育でコメディなのだ。
もう少し、邦題を工夫して欲しかった。

最初からズルいくらい子どもの可愛らしさが描かれている。
特に、永遠の命を持ちながら、子どもを作れない吸血鬼にとって、こどもの存在は恐ろしく魅力的である。
新鮮な食糧という以外に。

人間の女の子にはうまい血がたっぷり詰まっていて、血がなくなれば命もなくなる。
だけど、女の子にはもうひとついいところがある。
笑うんだ!
まったく、よく笑う。
(中略)
食べ物と水をやっているかぎり、女の子の笑い声がずっと聞ける。
そしたら、この先ずっと、女の子が笑うたびに元気がもらえる。
それに・・・。
それに、お楽しみをあとにとっておくことは、いい点もあると思う。
次のチャンスに賭けることにすれば、それまで求めていることすら気づかなかったなにかを見つける時間ができる。

吸血鬼しかいない世界で、いかにバレないように人間の子どもを育ているかがスリリングに、ユーモラスに描かれている。
まず、トイレをどうするかが問題になる。
吸血鬼のアパートにもトイレは残っているが、利用することがないので、植物を育ている鉢になっていたりする。
そして、吸血鬼の起きている夜のうちにはトイレの水を流すことも出来ない。
吸血鬼はトイレを使わないので、下水管に水が流れると不審に思われてしまう。
吸血鬼だがクリスチャンである主人公は、洗礼を受ける前に娘が死んでしまうことを恐れ、聖水を求めて奔走するのだ。

最後には、無事に育った娘を嫁に出す苦しみを味わう。
これがハッピーエンドか疑問はあるが、状況を考えると最善の方法かもしれない。
シェークスピアの芝居のような大団円である。
吸血鬼テーマはやりつくされたと思っていたが、こんな切り口が残っていたとは。

長命になり、余暇時間も増えた人類は、吸血鬼に近づいているのかもしれない。

以前はよく、永久に生きるってどんなだろうと考えたものだ。
永遠におとずれる夜を、永遠につづく時間を、いったいどうやってつぶせばいいんだろう?
ただ、だらだらすごすのか?
ひたすら、ぶらぶらしつづけるのか?
それとも降参して、車からエアバックをはずすのか?
いいや。
いいや、答えは単純だ。
子どもになればいい。
子どものころ、世界がどんなふうに見えたか覚えているか?
永遠なんて、当りまえの事実だったろ?
何度も何度も同じことをやって、次はもっとおもしろくしようとしていたじゃないか。

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