わたしはサムじゃない

わたしはサムじゃない (扶桑社ミステリー)なぜか紀伊國屋書店でケッチャムフェアをやっていたので、「NO KETCHUM NO LIFE」の缶バッチ欲しさに購入した。
無駄に残虐描写の多いことで有名なケッチャムだが、この中編集ではそれほど酷い描写はなかった。
でも、何を主張したいのか分からない話だった。
やはり、ケッチャムは趣味でないようだ。

ケッチャムの作品としては、人喰い人種が田舎を訪れた普通の人々を襲って、食べてしまう話を読んだことがあるが、その残虐な描写に辟易した覚えがある。
監禁した娘を拷問する話が有名なようだが、そちらは読む気にはならなかった。

この本は3つの中編で構成されている。
始めの2本は続いている。
最初の1本を読んで、1日味わった後に2本目を読むようにと指示があったので、言われるままに1日置いてみた。
それでも、何を主張したかったのか分からなかった。

ある朝目が覚めると、妻が別人格になっていた。
身体は大人の女性のままなのだが、精神は子供になっていたのだ。
その状況に苦しむ夫の姿が描かれているのが1本目である。

2本目は、人格の戻った妻が夫の行動を疑い、夫婦が崩壊する。
そういう話しである。

3本目は、倦怠期の夫婦のケンカから大虐殺に発展するインディーズのスプラッタ映画のような作品だ。

ケッチャムは何をしたかったのだろう?

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