光圀伝

光圀伝 (上) (角川文庫)天下の副将軍水戸黄門が諸国を漫遊し、悪い代官を懲らしめる、ような話ではない。
水戸光圀のリアルな一生を、「天地明察」の冲方丁が描く。
ヤンチャな若侍の頃の活躍は楽しく、晩年の葛藤は重苦しくも迫力をもって、緻密な調査と小説ならではの飛躍とを織り交ぜて、秀逸な時代小説となっている。
私にとって冲方丁は、SF作家としてよりも、時代劇作家の方が性に合っているようだ。

幼少の頃の光圀は、父親からの「お試しに」怯える少年だった。
父親は、幾度と無く光圀の力を試し、次男であるにも関わらず光圀を世継ぎに指名する。
立派な兄を差し置いて世継ぎになることが、長きにわたって光圀を苦しめることなる。

若侍となった光圀は、名を伏せて街で遊び歩きながらも学問に目覚める。
戦乱の終わった太平の世で、「詩」で天下を取ろうと決意する。
飲み屋で光圀を言い負かした儒教者の林読耕斎は、光圀のライバルとなり、生涯の友となる。
また、公家から光圀に嫁いだ泰姫は、光圀の良き理解者となる。
父の死後、家督を継いだ光圀は、兄への「義」を貫くため、ある計画を実行する。

この本はエンターテイメントとして、とても良く出来ている。
若い光圀が出会う宮本武蔵やライバルの林読耕斎などの登場人物たちも楽しませてくれる。
特に、天然で可愛らしく、抜群の包容力のある泰姫が特に素晴らしい。

この本を読んで一番に感じたのは、江戸時代の文化人のあり方だった。
光圀を始め、学問を志す人達は、真剣に文献と向き合い、現在の自分の生き方と整合性を取ろうとしている。
現代では失われた生き方だと思った。
SF作家でもある冲方丁は、違った文化圏における人間の生き方を、距離をとって冷静に描くのが上手い。
普通の時代小説では、現代と比較した時のその時代の特殊性は、なかなか見えてこないものだ。

この小説を原作にして大河ドラマを作れば、かなり骨太なドラマになるのではないだろうか。

ふてくされた気分で邸に戻り、自室で寝転がって手帖を開いた。
たちまち猛烈に腹が立った。いたるところに(宮本武蔵によって)朱筆で添削がなされている。習作を勝手に見られたことでさえ胸がむかつくのに、いちいち詩句に『風趣悪し』だの『創意無し』だの書かれている。そればかりか、書きかけの詩句に、勝手に続きの句を考察されていたりしていた。

光圀が滔々と喋り続けたのではない。いかなる性質によるものか、この姫の底抜けに自然な態度が喋らせたのだ。己の一切合切、丸ごと引きずり出された。理屈抜きで、そう納得するしかなかった。
そしてその上、見事なまでに天然たるとどめが来た。
「今日からは、あなた様はお独りではありません」
姫が言った。
「わたくしが、お傍におります」

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