心理学系の本を読んでいると、様々な心理学の学説や実験が紹介されるが、いつ、誰によるものかわからなくなって来る。
この本を読むと、知っていた学説や実験が誰の著書で記述されているかはっきりするので、すっきりした気がする。
また、時系列に沿って解説されているので、心理学の歴史が人間の理解に関する驚きの連続だったことが分かる。
この本では、著者独自の観点で分類が行われているので、少し違和感がある。
認知・行動領域、発達領域、社会領域という分類なのだ。
しかし、読んでいくうちに、この分類も「あり」かなと思えてくる。
また、扱う学者や本のセレクトにも著者の個性が反映されている。
例えば、ユングの扱いなどが小さい気もする。
1990年のセグマンによる「オプティミストはなぜ成功するか」における無力感の学習、同年のブルーナーによる「意味の復権」における心理学の物語重視への転換、2014年のミシェルによる「マシュマロ・テスト」における自己制御など、有名な研究・実験が、いつ、誰によって行われたかが整理出来て嬉しい。
近頃盛んに通りあげられている行動経済学は、実験社会心理学のようだと思っていたが、著者も同じように感じており、有名な行動経済学者であるカーネルマンは心理学者と考えるべきだと主張している。
同じ想いの人が居て、ちょっと嬉しい。
本書では、心理学の古典ばかりではなく、最新の著作も多く取り上げられている。
心理学の研究は現在でも盛んであり、面白い発見が続いていることを知ると、この分野への興味が再燃する。
このセリグマンの考え方と実験結果は当時の行動心理学に大きなショックを与えた。「やらないこと」を学ぶことが可能か、ということが議論の的になったのである。反論も受けたが、それに対する実験も実行することで「無力感を学習する」ということが認められるようになったきた。心理学史的に言えば、行動主義から認知主義へ移行する時期の研究としてセリグマンの研究を位置づけることが可能である。
その後、彼(トマセロ)は9ヶ月革命を提唱した。つまり、ヒトは生後およそ9ヶ月前後に、子どもは言葉を習得するための土台を築くというのである。そして、他者(自分の周りにいるオトナであることが多い)が意図を持っている存在だと理解するようなる。具体的には指さしの指された方を見ることができるようになる。見て欲しいという相手の意図を読めるようになるのである。
ヒトがひとに成るための1つのキーは言語使用である。そしてそのためには準備期間が必要である。その際、私たちは、構音、語彙、文法だけを学ぶのではなく、語りの様式も学んでいる。私たちが誰であるのか、の意味を紡ぐ様式は物語(ナラティブ)の様式である、物語(ナラティブ)は文化と相互に影響しあっている。
心理学における、物語という概念重視への展開は「ナラティブ・ターン」と呼ぶことがある。
意味づけから物語へという潮流を心理学にもたらしたものがブルーナーであり、今なおその影響は続いている。
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