藤子・F・不二雄

ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉藤子・F・不二雄オバQやドラえもんで有名な藤子・F・不二雄の伝記である。
子供の頃にそれなりに読んだと思うのだが、あまり印象が強くない。
どちらかと言うと、妹の担当分野だった。
この時代の漫画家の熱さが伝わってくる。

この伝記を読むと、2人だから頑張れたことがよくわかる。
引っ込み思案だった2人が、同じ志向の相手を見つけ、マンガ本を作り、上京し、挫折を味わう。
一人だったら無理だったかもしれない挑戦が、2人だったからやり遂げることが出来た。
面白い事例だ。

この時代の漫画少年らしく、2人は手塚治虫の影響が大きい。
手塚治虫に憧れてマンガを描き、彼を慕って上京する。
そして、手塚治虫の紹介で有名なトキワ荘に入り、同じ境遇の若者たちと切磋琢磨しながらプロの道を進んでいく。

マンガがブームになりつつある時代だったので、新人ながらもそれなりに仕事のオファーがあった。
しかし、仕事を多く抱えすぎて、結果的にいくつかのマンガが締切に間に合わなくなってしまう。
そのため、1年近く業界で干されることになってしまう。
こんな苦労をした時期があったとは知らなかった。

劇画ブームの煽りを受けて、大人向けのSF短編マンガを描いたこともあったようだ。
それなりに評価されたが、子供向けのマンガにこだわり、決して方向性を変えなかった。
そして生まれたのが「ドラえもん」だった。

子供に良質な娯楽を提供する、という想いを一生追い続けた作家だった。
藤子・F・不二雄の人生そのものが、夢と冒険そのものだった。

この「スコシフシギ」について、藤本は次のように語ったことがあります。
「誰でも不思議な話は聞きたい。ただ、まるっきりの絵空事ではなく、それを身近な、自分のまわりで起きたとしてもおかしくない現実感をもって聞きたい。ありそうもない話をありそうに聞きたい、ということだろうと思うのです」

また、色についても藤本には緻密な計算がありました。「ドラえもん」は学習雑誌「小学3年生」に掲載予定でしたが、低学年向けの学年誌ではたいてい、はじまりのページが黄色の色扉で、タイトルが赤でデザインされていました。その扉に映える色にするために、ドラえもんを青くしたのです。

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