ゲームの王国

ゲームの王国 上不思議な小説だった。
上巻は、ポルポト政権が支配するカンボジアでの悲惨な状況下、ひとりの天才少女と、ひとりの天才少年が生き延び、出会う物語。
下巻は、ポルポト政権崩壊後、大統領の座を狙う成長した少女と、彼女を阻止しようと脳波を使ったゲームを開発する成長した少年の間接的な争い。
そして、本当のテーマは、ボーイ・ミーツ・ガールの淡い恋である。
歴史小説のようでもあり、ラテンアメリカ文学のようなファンタジーでもあり、最先端の脳科学を背景としたSFでもある。

ポルポトが政権を取る直前の荒んだカンボジアで、捨て子のように郵便局員の家に預けられたシエラは、冤罪により育ての親が殺され、その後も関係者が殺される中で、偶然に助けられながらも成長する。
カンボジアの片田舎に生まれたムイタックは、その奇矯を怪しまれながらも、天才として頭角をあらわす。
ムーラン・ルージュが国を席巻し始める時に、2人は出会い、ゲームで対戦する。
ムイタックの村は、ムーラン・ルージュにより全滅させられ、その場にはシエラも立ち会うことになる。
ポルポト政権崩壊後、正しいルールの国を作るため、シエラは大統領を目指す。
村の全滅の裏にシエラがいたと信じるムイタックは、脳波でコントロールするゲームを使い、彼女の当選を阻もうとするが。

上巻では、当時のカンボジアでの過酷な生活が生々しく語られている。
とにかく、簡単に人が死んでいく。
主要なキャラクターだと思われる人々が、ちょっとした理由で死んでいく。
恐ろしい時代だったことが、よく伝わってくる。

そんな状況下でのムイタックの村のエピソードーが、なんとも不思議だ。
泥を食べることで、泥の気持ちが分かる男など、ラテンアメリカ文学の魔術的リアリズムを思わせる。
歴史的な悲劇とアンバランスな、ほら話のような活躍が不思議な雰囲気を作っている。

脳波によってゲームをコントロールする、というアイディアは新しくはないが、気持ちにによってコントロールする、というのが面白い。
特定の記憶をトリガーにゲームを攻略できるようにゲームを設計することで、プレイヤーが脳内に記憶を作ることを強制する。
その結果、プレイヤーに本来存在しない事実の記憶を植え付け、人生さえも操れる可能性がある。

このような小説を日本人が書いているのが面白い。
海外の作家が描くようなテーマとティストである。
今後の作品が楽しみな作家だ。

簡単に復習しましょう。「1.感覚刺激を受容する。2.それに対して生物学的に価値判断をする。3.2に応じて脳内物質が発生する」というプロセスがあり、そのプロセス自体を再定義する行為、それが感情です。自分が無意識のうちに書いた物語にタイトルをつけるような話です。

クワンは「なるほど」とうなずいたが、実は「取材源」など存在しなかった。股間に従っただけだ。(中略)隆起した逸物の角度と方向で、不正の証拠の眠っている方向がわかるのだ。

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