偶然の科学

偶然の科学社会学をどのように科学として成り立たせていくか?という本である。
そのために、人間の判断の危うさを検証している。
常識や予測が、いかに当てにならず、科学的でないか、がまず語られる。
そして、社会科学が、どのような方法論で研究を行うべきかが考察されている。

冒頭の多くのページを使って「常識」という神話の危うさが語られる。
常識が誤っている例を、これでもかというくらい提示されている。

もうひとつの判断の根拠として「歴史」が取り上げている。
しかし、「歴史」は1度しかない事象なので、そのまま予測には使えない。
また、現在進行している「歴史」は、終わってみないと良し悪しの判断ができない。

「予測」は、未来と過去が別物であるため、過去を元に未来を完全に予測できるわけではない。
未来は、確率的には予測できるが、人々が求めるのは、確率的な未来予測ではない。
現在のすべての原子の状態が計測できれば未来も予測できるという「ラプラスの夢」は、複雑なシステムでは不可能である。
小さな変化が相互作用し、思わぬ結果に繋がってしまうからだ。
社会科学で扱う人間社会は、複雑なシステムである。

社会科学のできることは、予測できる事象と予測できない事象を識別し、予測できる事象については、計測し、実験することだ。
現実的な対応としては、未来予測は当てにならないことを受け入れることだ。
未来が分かると思う自分自身を疑うのだ。
計測と実験を繰り返すとともに、計画の柔軟な変更を行う必要がある。

これは、ベンチャー企業が行っている経営方法に似ていると思った。

常識は統一性と一貫性に欠けるし、自己矛盾する面さえあるが、これはわれわれの日常生活ではまず問題にならない。なぜなら日常生活はいくつもの小さな問題に分かれていて、それぞれ個別に対処できる非常に具体的な場面が基盤となっているからだ。

よくできた物語の魅力は非常に強いので、説明を科学的に評価しようとするときも、つまりどれくらいデータに一致するかに基づいて評価しようとするときも、われわれは物語としての特質から判断してしまう。

ZARAは客がつぎのシーズンに買うものを予測しようとはせず、むしろそんなものは見当もつかないと認めているに近い。そのかわり、いわば「測定‐対応」戦略を用いてる。

望遠鏡の発明が天空の研究に革命をもたらしたように、携帯電話やウェブやインターネットを介したコミュニケーションなどの技術革命も、測定不能なものを測定可能にすることで、われわれの自分自身についての理解や交流の仕方に革命をもたらす力がある。

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