知ってるつもり 無知の科学

知ってるつもり――無知の科学人間は、自分で思っているほどモノを知らない。
知っているつもりで意思決定をするのは危険である。
本書では、知っているつもりの原因を究明している。
自分の無知に驚き、不安になる。

知っているつもりの原因は、知識が個人の頭の中だけにあるわけではないことだ、というのが本書の主張である。
知識は、環境とコミュニティの中にもある。
計算をするには紙があった方が楽だし、世界に一貫性があると思えるからこそ、予測ができる。
コミュニティに属する人々の知識の蓄積により製品は出来ており、文化も形成されている。
しかし、人間は自分の中の知識と環境やコミュニティにある知識の境界があいまいになる傾向がある。
だから、自分で思っているよりも、実は無知である。

これを確認する簡単なテストがある。
ある物事について、どれだけ知っているか自己評価してもらう。
その後、その物事の仕組を説明してもらう。
説明をした後に、再度どれだけ知っているか自己評価すると、評価が圧倒的に下がる。
このテストは、自分に当てはめても納得できる。

人間の脳は、瞬時に状況を判断するように進化した。
そのような判断には、詳細な情報がすべて必要なわけではなく、覚えておく必要もない。
だから、判断に必要な重要な情報だけを抽出し、記憶するように進化したと思われる。

「知っているつもり」が問題になるのは、意思決定をする時である。
自分が思っているほど知識がない状態で、投資や政治問題などについて重要な判断をするのは危険である。
自分が「無知」であることを把握した上で、考える必要がある。

人間の知性は、大量の情報を保持するように設計されたディスクトップ・コンピュータとは違う。知性は、新たな状況下での意思決定に最も役立つ情報だけを抽出するように進化した、柔軟な問題解決装置である。その結果、私たちの頭のなかに、世界についての詳細な情報はごくわずかしか保持しない。こうした意味では、人間はミツバチ、社会はミツバチの巣にたとえることができる。知性は個体の脳のなかではなく、集団的頭脳のなかに宿っている。

知覚の錯覚が起こるのは、知識のコミュニティで生きているからであり、自分の頭に入っている知識と、その外側にある知識を区別できないためだ。物事の仕組みについての知識は自分の頭の中に入っていると思っているが、実際にはその大部分は環境や他者から得ている。これは認知の特徴であると同時に、バグである。

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