ホープは突然現れる

実にクレア・ノースらしい作品だった。
1作目では繰り返し生まれ変わる人々、2作目では接触により身体を乗り換える人々描いていた。
本作では、なぜか人に忘れられてしまう人間が主人公である。
前2作との違いは、その特性ゆえに仲間がいないことだ。
お互いに忘れてしまうので、仲間として長持ちしない。

自身の特徴を活かし、主人公は泥棒を生業としている。
犯罪を目撃されても、少し目を離した隙に忘れられてしまうのだから、絶好のスキルである。
しかし、逆にそれ以外の仕事には付けないという現実もある。
面接しても、次のに日には忘れられてしまうのだから。

そんな彼女が気まぐれに盗んだのは、あるIT企業にの宝石だった。
自己啓発と自己管理をアプリケーションで徹底し、人生のステージを上げることをビジネスにするその企業は、セレブたちに人気があり、莫大な利益を上げていた。
しかし、実際には脳外科手術も含む洗脳とマーケティングを影のビジネスとしていた。
その企業と対立する女性から、システムのプログラムを盗むことを依頼され、主人公は闇の戦いに巻き込まれていく。

全編を貫くのは、彼女の孤独である。
人に覚えてもらえないということは、人間関係を築けいないということだ。
軽妙な文体だが、様々な切り口から、彼女の孤独が浮き彫りになる。
人間関係の不在を埋め合わせるために、彼女は知識で武装している。
だから、本書には、彼女の博学な知識が多く披露されている。
それが文章としての面白さにもなっているのだが、後半には虚しさを演出する道具となっている。

とても面白い小説なのだが、この作者の作品は、基本的に同じパターンの展開に思える。
次回作は、新しい方法を見いだせるか楽しみだ。
そして、ぜひともクレア・ノースの作品を映像化して欲しい。

こわい。彼が記憶から薄れていくのが、彼の記憶とともに私の一部が死んでしまうのがこわい。今日一日で感じたこと、学んだこと、思いついたこと。あれだけの思いと感情が、全部記憶と一緒に死んでしまうのだ。

今、私は存在する。
今も、私は存在する。
でも今。
あなたが目を閉じたら。
私はもういない。

1に準備、2に準備、34がなくて5に準備。
これはある宝石泥棒が、クロアチアで一緒にカクテルを飲みながら教えてくれた盗みの奥義だ。

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