ラギッド・ガール

飛浩隆による「廃園の天使」シリーズの2作目である。
前作「グラン・ヴァカンス」は長編だったが、本作は短編集である。
「グラン・ヴァカンス」で描かれた仮想空間のAIの背景が多面的に描かれている。
前作はしっくり来なかったが、本作はとても楽しめた。
前作のモヤモヤした部分が、かなり解消された。

本書には以下の短編が収録されている。
・夏の硝視体(グラス・アイ)
・ラギッド・ガール
・クローゼット
・魔術師
・蜘蛛(ちちゅう)の王

まず、SF的アイディアが色々と面白い。
仮想世界に人間が入り込むには情報量が多すぎる。
そこで、個性を形作っている一般的な条件を削ぎ落とし、情報的に軽くなった「似姿」で仮想空間に入る。
だからAIの方が情報量が多いことがある。
後に話題に上がるのは、「似姿」と現実の人間に、どれほどの違いがあるかということだ。
「似姿」と同じ方法で抽出された人物は、人間よりもAIに感情移入する。

そして、仮想空間があれほどまでに壮絶なサディズムに支配されている原因も明かされる。
仮想空間を構築する時に、現実世界の情報収集にあたった人物は、世界を痛みで感じ、記憶する特殊な能力者だったのだ。
そのため、その反映である仮想世界は、痛みに溢れている。

まだまだ分からないことも多いが、この短編集を読むと「グラン・ヴァカンス」の背景が分かり、SFとしての凄さを知ることになる。

ひとのあらゆる個性は、生まれ落ちたときの初期条件と、五官をとおしてストリーミングされてくる環境情報、極端にいえばただその二つだけから作り出される。常人の場合、環境情報の履歴は大半が廃棄されるが、その上で残るものがあなたをかたちづくる。あなたとは、あなたの過去と現在を不断に編みつづけるテクスチャ、織り目、 成長 しつづける動的なセーターなのだ。

「 こいつら が記憶しているわけじゃないよ。これはただのいまいましい病気だから。でも こいつら が起こす痛みや痒みやこわばりには意味がある。絶対時間の流れと身体の不快がつくる干渉縞に、わたしのプレパラートは保存されているの。それとほかにもがらくたがいっぱい」  
渓の身体は生まれてこのかた、つねに苦痛と不快にみたされていた。それを感光素材にしたホログラム。絶対時間のビートが参照波。広大な空間は、渓の不快のなかにあったのだ。

ダークに造設された視床カードは、彼女の正常な精神活動を写しとった。やがて病状が悪化しダークのコグニトームが絵模様を見失ったあと、8か月の期間を経て、視床カードが慎重に起動された。この脳神経補装具は失われた脳の機能を引き継ぎ、もとどおりの彼女を読み出し、見い出した。  
いまわれわれが情報的似姿を作り出すのと、原理的にはいささかも違わない、まさにその方法でダークの個性は保存され、再生された。

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