「その日暮らし」の人類学

「その日暮らし」という言葉に惹かれて、寅さんのような生き方を想像していたが、そうではなかった。
新興国における、我々とは違った資本主義・グローバリズムのあり方について語られている。
頑張って積み上げるのではなく、チャンスを渡り歩く生き方である。

最初に紹介されるのは、アマゾンにおける「最小生計努力」だ。
明日のために、努力して蓄えるのではない。
その日に必要な分だけ、狩猟・収穫する。
足りない時は、誰かが分け与えてくれる。
前提となるのは、分け与えるのを義務とする文化である。
分け与えるのを渋ると、村八分にさせる恐れがある。
だから、頑張ったら損なのだ。

新興国の路上商人は、儲かりそうなら、まずやってみる。
ダメならすぐに撤退する。
明日がわからない不安定な市場では、明日のために努力するのは効率が悪い。
新しい商売は、友人に聞けばやり方を教えてくれる。
人に教えるのは、全員が一度に失敗するわけがなく、誰かが生き残る、という考え方が元にある。
なんでも手を出すことにより、多くの技能を持ち、チャンスを活かせる可能性が高まる。
また、技能を多角化することで、一つがダメでも違う収入を期待できる。
このような生き方が、新興国では大きな市場になっている。

先進国では、資本や技術、人間関係をコツコツ積み上げて成功するのが当たり前だと考えているが、そうでない生き方もある。

ところで、この最小生計努力と食物の平均化の2つの傾向性は、超自然的な世界と関係を持っている、「分け与える」に反する行為は、人びとの妬みやうらみの対象となり、ときには分け与えない者に対する呪術を発動させる。この妬みや呪術に対する「畏れ」ゆえに、人びとは食物を分け与える、と掛谷は指摘した。

わたしが長年、調査してきたタンザニア都市市民は、即応的な技能で多業種を渡り歩くジェネラリスト的な生き方をしており、また「1つの仕事で失敗しても、何かで食いつなぐ」「誰かが失敗しても、誰かの稼ぎで食いつなぐ」という生計多様化戦略を採っていた。彼らにとって事業のアイディアとは、自己が置かれた状況を目的的・継続的に改変して実現させるものというより、その時点でのみずからの資質や物質的・人的な資源に基づく働きかけと出来事・状況とが偶然に合致することで現実化するものであった。

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