人体 失敗の進化史

進化は既存の変更の連続だから最適解ではなく、歪なあり合わせだと思っていた。
それがテーマのこの本の著書が解剖学者なのに最初は違和感を持ったが、考えてみれば、進化が表れるのは生物の身体であり、それを良く知るのは解剖学者だろう。
進化に関する解剖学的知見は面白く、二足歩行は重力に対して90度の変更を内臓に強要した、など目から鱗だった。
著書の現状の科学行政に対する怒りは、もっともだと思った。

生物の身体を構成する部品について、解剖学者の観点と進化の観点で語られる。
普通は知らない、驚くべき生体の歴史である。

たとえば「骨」。
多くの生物の構造の基本であり、運動のための支点である「骨」は、体内にリン酸カルシウムを貯蔵するために作られたという。
進化のルールとして、本来の用途と違っても、使えるものは使う。
いちから作るよりも経済的だし、小さな変化を長い時間で積み上げる自然淘汰では、ほかに方法がないからでもある。
リン酸カルシウム貯蔵のための器官は、身体を支え、運動の起点となり、身体を保護するものとなっていく。
このように、最後に出来上がる役割と、その形が生み出された時点の機能が明確に違う場合を「前適応」という。

臍の緒は母親と胎児をつなぎ栄養を与えているものだが、哺乳類以外でも臍の緒はあり、それがつながっているのは、あくまで卵の黄身である。
臍の緒は、栄養を得るために管であり、哺乳類では母親と繋がっている、というだけだ。

ヒトはまっすぐ立ったために、のど、つまり咽頭が重力の方向へ落ち込み、咽頭の周辺領域に空洞ができた。
この空洞を使うと、筋肉の微妙な動きをもとに空気を震わせ、繊細な声を作り分けることができる。
直立二足歩行の副産物として、声が出せるようになったのだ。

なぜならば、遺体をしっかりと見て、形とはどういうものであるかを、実際に目で見て、指で触って、知ることに命を懸けているからである。全身全霊をもって感じてきた身体の形の、分子発生学的理論基盤が構築される様子を見たとき、解剖する者だけが感じられる、一種独特の悦びがあることは間違いない。

1990年代以降に、日本という国が目指した学問の姿は、すぐにお金を生み、すぐに国際競争力となって対価を生み出すような、科学的好奇心というよりは、現実的な技術開発だったのである。もちろんその背景には、結局、その研究がいくらのお金を動かし、いくつの特許を獲得し、投じた税金に対してどれほど物質的に国を富ませたかという、実に浅薄な〝評価〟が伴い、いつの間にか、そうした物差しを志向しない研究テーマも研究者も、世の隅っこに追いやられるようになってしまっている。

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