面白くて眠れなくなる進化論

面白い!
一神教から発生した科学の限界についての意見が新しい。
空間と移動能力など、進化論の新しい側面が語られている。

ひとつの原理は美しいが、それでは複雑な世界を理解出来ない、という考え方は面白い。
人間より多くの変数を扱えるAIの台頭と合わせると、違う文明が見えて来る。

「進化とは、ある目的に向かって完成されていくものではなく、常に、手持ちの選択肢の範囲で、適応的なものへと変化していった結果として、現在の複雑な構造が存在する」
という進化論の原理は、現在も健在である。

本書で疑問を投げかけるのは、ダーウィンが説いた「進化はすこしづつ進む」というところだ。
2つの性による遺伝子の混合とコピーのミスにより、進化は少しづつ進むと思われていた。

しかし、現在は必ずしもそうでないことが分かっている。
1つは、ウィルスによる遺伝子の組み換えだ。
自分だけでは自身が増やせないウィルスは、他の動物に侵入し、遺伝子を書き換えうことで、自身を増殖させる。
この時に生殖細胞が改変されると、子孫へ続く永続的な遺伝子の変化となる。
これは、生殖やコピーミスよりも大きな変化となる。

もう1つはトランスポゾンである。
トランスポゾンは、遺伝子配列上の位置を変えることができるDNA配列である。
ある生物では、全体の40%がトランスポゾンであることが分かっている。

もっと大きな変化は、共生である。
かって別の生命だったミトコンドリアは、核ゲノムに飲み込まれ、その形で次の代に引き継がれることになった。
ミトコンドリアが逃げないように、核ゲノムがミトコンドリアの遺伝子の一部を奪い、「家畜化」したという見方もある。

今後の進化論に求められる新しい視点として、「空間」があるという。
強すぎる捕食者は獲物をすべて食べてしまい、結果として食べるものがなくなり、自身も滅んでしまう。
空間が広く、隠れる場所があれば獲物は生き残り、共存の可能性がある。
また、強すぎず、完璧でない捕食者も重要である。
現存の生物が最強か、ではなく、いかに滅びないか、という尺度で見る必要がある。

科学において、シンプルで美しい原理が最上であると思っていたが、それは一神教がもとになった考え方だ、というのは新鮮だった。
確かに、世界がシンプルに説明できる保証はない。
重要なのは、まずは説明する方だ。
そして、億単位の変数を扱えるコンピュータは、人間より世界を理解できるのかもしれない。

密接な共生は菌以外の生物との間でも見られます。例えばミツバアリは、植物の根につくアリノタカラカイガラムシと強い共生関係を持っており、このカイガラムシが出す分泌液しか食べません。羽アリが巣から飛び出す時は、口に一匹のアリノタカラカイガラムシをくわえており、新たなコロニーを作る時にこのカイガラムシを巣場所の植物に移植します。それがいないと生きていけず、必ず連れて行くことから「アリノタカラ~」と呼ばれています。

先述したプランクトンの多様性と同様に、空間の大きさに対して生物の移動力などが制限されているために「空間構造」ができるのです。この観点を取り入れたときに初めて、いままでの進化の考え方では説明できなかった現象が、説明可能になります。  
現在の進化論は、決して完成されたものではありません。

誰の? 
もちろん「神」です。科学は元々、自然がうまくできていることを示すことにより、神の全能性を証明し、神を称えるための思想として起こったのです。

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