正しく読むことが、ただしく書くことへ通じるとし、正しい読み方と書き方を教えている。
現役の先生が書いているので、若干押し付けがましく感じるのは、私の「先生」に対するイメージに偏りがあるからだろうか。
文章を書けない人に対して、どのように書いたら良いか著者独自の理論で指南している本である。
書き手は、論理によって不足を埋めることを強いられる。
これは、読み手が文章を読んでいる時に不足を感じるのと同じ感覚で、何が不足か考え、次を予想しながら読む訓練をすることで、書くことも上達するというのが本書の考え方である。
このことを文学作品や授業でのリレー作文、著者自身の文章などの多くの例を使って説明している。
不足を追う習慣のある読み手が心に刻むのは、「印象に残った言葉」ではありません。
「来てもらわなければ困る言葉」です。
こう書いてある以上は、次にこう書いてもらわなければ困る。
そうやって「来てもらわなければ困る言葉」を待ち構えるわけです。
これは、書き手の「こう書いた以上は、次にこう書かなきゃまずいよな」と思って文をつないでいく意識と同じものです。
書きたいことがなくても、書いているうちに書きたいことが見えてくるとしている。
文章が自身の論理で書き手の意志を離れて進んでいくことがあるのは分かるが、書きたいことが後から見えてくるのはむしろ稀なケースではないかと思う。
この本は、文書を書けない人を書けるようにする本であり、書きたいことがない人を励ます意味で、「まずは書き始めろ」と言っているなら理解出来る。
また、書き手が「読者の目」を持たなければ平凡な文章しか書けないという。
「読者の目」で文章に変化を求めることで、平凡な文書を壊し、新しい展開が生まれる。
はじめの章では批評の歴史について語られる。
この部分はとても学術的で、全体のバランスが悪いとも思うのだが、内容は面白い。
元来「読み」には、以下の2つの方法があった。
伝記批評
作品を作者の生涯に結びつけて理解する。
印象批評
作品を読後の印象を通して理解する。
後に、神話批評と構造主義が現れる。
神話批評
すべての物語は「原型」の組み合わせである。
構造主義
すべての文章は他のテクストからの引用である。
言葉の織物である文章を分解・分析する。
構造主義において、文学の作者はテキストを引用しているだけとされ、「作者の死」ともいわれた。
しかし、構造主義は文学の良し悪しを論じる構えがなく、同時に「批評の死」でもあったため、流行は終焉に向かった。
構造主義は社会科学の文脈から捉えていたので、批評との関係での見方は新鮮である。
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