前居た会社の山岳部の八ヶ岳合宿に参加した。
10人の大所帯だったので、どうなることかと心配したが、特に問題もなく、楽しい登山だった。
金曜の夜に新宿に集合し、バスで現地まで移動である。
バスでの移動は初めてだが、やはり眠りづらい。
八王子手前の道の駅でトイレ休憩があった。
驚くことに休憩時間は40分。
道の駅のベンチで仮眠を取ろうか、と思うほどの長さだ。
赤信号をものともしない豪快な運転のせいか、美濃戸口には予定より1時間も早く到着してしまった。
着いたら大雨だったら凹むと思っていたが、幸運なことに雨は止んでいた。
暗いうちからヘッドランプを点けて出発した。
歩いているうちにだんだん夜が明けてきた。
今回は、あまり山に登らない人や女性を含めたパーティーなので、ゆっくりとしたペースで歩いた。
すると、景色をのんびり観察出来る。
鮮明な赤ではないが、紅葉で色の変わった植物と苔の組み合わせは、なかなか味わいがある。
鉄分が多く、小川が赤い。
元気のいい若者は、区間優勝を目指すと言いながら、早いペースで登っていたが、途中で疲れてしまったようだ。
それでも地図に書かれた時間より少し早く、硫黄岳に到着した。
ペースさえ考えれば、初心者でも登ることが出来る、いいコースだと思う。
初日の最高峰である硫黄岳で昼食となった。
ガスが出ていて何も見えない上に、風が強く、じっとしているには寒いので、そうそうに硫黄岳山荘に移動した。
硫黄岳山荘には、13時過ぎに到着した。
なかなか立派な山小屋で、各自が寝るスペースも、布団1枚分弱はある。
敷布団など、自分の家よりいいものを使っている、と山小屋の人に自慢された。
我々の後に50人の団体が来る予定で、今晩は100人が宿泊するというから驚く。
山小屋についてしまうと、夕食まですることがない。
下界から背負って来たビールで乾杯し、手持ちの酒で酒盛りになったが、すぐにアルコールが底をついてしまった。
3人でドラクエを始めたら、ゲームに興味のない他のメンバーからは、白い目で見られた。
夕食のおかずはバラエティーに富んでいて、何から食べるか迷ってしまうほどだった。
夕食の後、食堂でミニコンサートが開催された。
何のコンサートかと思ったら、硫黄岳山荘常連のテノール歌手による歌謡ショーだった。さすがにプロの声は迫力がある。
小さな食堂が震えるような感じである。
高齢者向けの漫談を交えながら、みんなで合唱するプログラムだった。
「富士山」や「夏の思い出」などを、配られた歌詞カードを見ながら歌う。
昭和の世界である。
その日はちょうど十五夜だった。
ガスが出ているので、月見は諦めていたのだが、早く流れる雲の合間に、ぼやけた月が見えることがあった。
それが見えたり、見えなかったりで、点滅しているようである。
かと思えば、全く雲が無くなり、綺麗に月が見える瞬間もあった。
山の天気は一瞬で変わる。
翌朝も天気はいまひとつだった。
なんとか見える朝日を拝んで、山小屋を出発した。
景色が見えない中で、峰を歩くのはもったいない気がする。
しかし、普段の行いが良いのか、横岳あたりから天気が回復した。
遥か遠くに富士山の頭も見えるようになった。
そして、とても珍しいといわれるブロッケン現象を観察出来た。
山の上の人の影が雲に映り、その周りを虹が取り巻く現象である。
なんともありがたい。
晴れてしまえば尾根を歩くのは楽しい。
左右に広がる雄大な景色を堪能しながら、ほぼ平行移動である。
雲海の美しさは、山に登らないと味わえない特権である。
横岳、赤岳はクサリ場が多く、険しいところなので、慣れないメンバーは苦労していたようだ。
無事赤岳の山頂を踏んで、後は下るのみ。
下りは楽だと思いがちだが、実は大変である。
膝への負担は大きいし、筋肉痛になる可能性が下りの方が高い。
赤岳山頂からは、クサリ場の急な下りが続く。
早い系のAチームと、ゆっくり系のBチームに別れ、ぐんぐん下る。
先頭と最後尾がトランシーバを持って、連絡を取り合う作戦である。
私はBチームに居たが、そのチームさえも分かれてしまうと、正しいルートを歩いているか不安になる。
Aチームは最後の山道を、走るように下ったらしい。
なにも、下り最速を目指す必要はないと思うのだが・・・
山道が終わっても、しばらく舗装道路が続く。
筋肉痛になった足には、ゆっくり歩くより走った方が楽なことを発見したが、重い荷物を背負って、そうそう長く走れるものではなかった。
美しの森からバスで清里に移動し、清里から小淵沢まで電車移動。
小淵沢で温泉に入り、特急で新宿に戻った。
特急の中でも、懲りずにドラクエでパーティを組んだが、弁当を食べてビールを飲んだ後なので、いつの間にか寝ていることが何度かあった。